岐阜の県名は織田信長によってつけられた

岐阜県の県名は県庁所在地名称に由来し、さまざまな説があります。

その中でも、織田信長が岐阜の名前をつける際に大きく関わったという説が有力です。

織田信長は1567(文禄10)年に斎藤氏を滅ぼして稲葉城(現在の岐阜城)を本拠地とし、稲葉城下の「井口(いのくち)」と呼ばれていた地名を改名しようと考えます。

そして尾張政秀寺の僧侶・沢彦宗恩に新しい地名を提案させます。

沢彦は中国の故事にならい、信長の天下統一の実現を示唆して「岐山」、「岐陽」、「岐阜」の3つを提案し、信長はそのなかから「岐阜」を選びました。

信長が岐阜を選んだ理由は、岐山と曲卓の1字ずつをとって組み合わせた儒教的命名だといわれます。

岐山はむかし殷の王朝が周へ変わるときに鳳凰が舞い降りたとされる山で、曲卓は学問の祖である孔子が生まれた故郷であり儒学発祥の地です。

日本全国47の都道府県のうち、県名が中国に由来するのは岐阜県だけだそうです。

信長が井口を岐阜と改称しという言い伝えですが、じつはこれ以前にも岐山、岐陽、岐阜の地名はあったようで、万里集九の漢詩文集「梅花無尽蔵」に岐陽と岐阜の記述がありますし、土岐成頼の画像賛にも岐山、岐陽、岐阜とあります。

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